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「利益をあげたい」「社会を良くしたい」の狭間で

MNHは何がしたいのか? vol.2 アイキャッチ画像

「利益をあげたい」「社会を良くしたい」の狭間で

MNHの菅会長は、ノルコーポレーション(以下、ノル)を1991 年に創業し、雑貨ビジネスを続けてきていた。会長はいう。

「当時のノルでのビジネスは、ぼくの自己表現だった。なにかいいものをつくれば、たとえ価値観の違う人でも、こんなものが欲しかったと喜んでくれる。その商売体験が、今も原動力になっている」

自分たちの商品企画で確実に収益化し、販路も広げていった。業界でもノルは影響力を持ちはじめた。会長自身、それに手応えと喜びを感じ続ける毎日だった。

一方当時の日本で、その成長を維持するためには、海外で安く生産するモデルに転換せざるを得なくなっていた(*1)。試行錯誤を重ねながらも、ノルは順調な業績を重ね、雑貨メーカーとしては日本最大級の企業に成長をしていった


ものづくりの全貌を、ひととおり把握したかに思えた矢先。
会長に、若い頃のある想いが蘇ってきた

会社に雇われないで生きていくにはどうしたらよいかを、ずっと考えていた自分。ノルを作る前にも、個人事業主として、夫婦2人で雑貨作りをしていた。その後インドネシアに渡り、小さい規模ながら商売を広げていく。

そんな商売の駆けだしのに関わっていたのが、福祉作業所の人だった、と会長は振り返る。

「日本に戻ってきて、福祉作業所(*2)と一緒にゲームを作ったりもした。福祉作業所の人とはなにかと縁があって、ずっとお世話になっていた」

 

 

国籍や業界も違う、多様な人達とものづくりをしながら、築いてきた商売の道。あの頃のように、自分の持っている商品企画のノウハウやネットワークをつかって、今の日本(*1)でなにかできないだろうか。そんな思いが会長のなかで膨らんでいった。

大きくなったノルでそんなビジネスをやってもよかったけど、この時の会長は、違った。

「ノルの初期に得たわくわく感を失わずに、利益をあげながら社会課題を解決するというビジネスをしてみたくなった。目の前の若者の働く場をもっとつくって、その人たちがやりがいを持って働くことができれば、もっと社会がよくなる。MNHは日本を良くしたいと思う気持ちだけでつくった」

 

新会社MNHは、この会長の想いが原点となっている。

その後、これを表現する会社名を思いめぐらすも、なかなかよい案が浮かばなかった。再びやりたいことを自問すると、やっぱり「日本を良くしたい」に行きついた。最後は、“みんな(M)で日本(N)をハッピー(H)”に。率直な想いをそのままMNHという社名に落とし込んだのだった。

そして2008年。MNHとして、社会課題を解決しながらビジネスをするという新しいスタンスでの挑戦がはじまったのである。

 

(*1)1980年代後半より、日本企業において、人件費を抑えて価格の競争力を高めるために、海外の工場でものを生産する動きが加速した。地域経済を支える製造業の工場が域外に移転することで、その地域の産業が衰退する産業の空洞化が引き起こされ、それが大きな社会問題となった。

(*2)障がい者支援施設・日の出舎

 

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